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2024-04-20-Sat 16:25:38 │EDIT
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かんねの松葉買い

2007-01-04-Thu 19:20:36 │EDIT

今日はかんねどんの松葉買いン話ばしゅうだい。             (今日はかんねさんの松葉買いの話をしょう) は、かんね話の始まりに必ずある枕詞みたいなものです

かんねさんは貧乏で、飯を炊いたり、湯を沸かす薪でも買えなかったという。

秋口になると唐津の町には炊き付けにする

「松葉売り」ン来よったちゅう。

この「松葉売り」というのは、虹の松原の落ち松葉をかき集め

四角に固めて、売るという商売です。

虹ノ松原というのは、昔寺沢志摩守という殿様が農作物を海風から守るために海岸に多数の黒松を植えたと伝えられる松原で日本三大松原に数えられています。

虹の松原の松は、殿様がよく育つように、鏡村の者達に

世話をするように申し付けておりました。

その代わりに、鏡村の者達にだけ、松葉を集めて

売っても良いと、許可しておりました。

だから、鏡村の者達は、ワガヨカロウゴテ 松葉ば                     (自分の好き勝手に)

売ってさるきよらしたけん、かんねさんは                    (歩くていた、うろついていた)

いつか、松葉売りば コナシチャロウ て思いよらした。                (困らせる、いじめてやる)

ある日、かんねさんは用事で、出かけようとしておりました。

その時、「松葉はいらんね」と売り声がきこえたという。

こりゃちょうどよかとけ来たと思って                       (これは、ちょうどいいところに)

「いくらけ、安かなら 買うバイ」と呼び止めました。              (いくらですか?安いなら買いますよ)

松葉売りは、かんねさんが こすうして いつも値ばコギルちゅう         (ずるくて、いつも値切るという)

こつば知っとるけん                              (ことを、知っているので)

「一把十五文バイ、いっちょんまからんバイ」と言いました。         (1羽十五文だよ、ひとつもまけないよ)

するとかんねは、松葉売りの考えとることと、

あっちゃごしに、あっさり                               (反対に)

「高っかな。そいどん仕方ンなか。5把ばっかい裏ン小屋さん       (高いな。しかし仕方がない。5把ばかり裏の小屋に

入れちょってくれんけ。おりゃ急いじょるけん                 入れてくれ。俺は急いでいるから

銭ゃ後で払うたい」といって、出かけていきました。                銭は後で払います)

松葉売りは、松葉を車力から降ろして、裏ン小屋に運びました。

しかし、かんねの家は、狭くて裏に行く通りは一尺幅も

ないものですから、松葉を通すと通りの角に当って

荷崩れして、半分は路地に うっちゃえてしもうたちゅう。              (落ちてしまったという)

二、三日たって、松葉売りは銭をもらいに

かんねの家にやってきました。

「松葉ン5把分、75文ば貰いぎゃ来たバイ」                 (松葉が5把分、75文を貰いに来たよ)

といいました。するとかんねは、気色ンわぁか顔ばして、             (気分が悪い顔)

「松葉ン代わりてや。お前、裏ン小屋ば見てんけ。             (松葉の代金だと、お前裏の小屋を見てみろ

あぎゃんウッカンゲタ 松葉ば頼んだ覚えはなかバイ           あんなに壊れた 松葉を頼んだ覚えはないぞ

おりが頼んだつは、きちんとしたもんバイ                  俺が頼んだのは、キチンとした物だ

あぎゃんた いらんけん 持って帰らんけ」                  あんなものはいらないから 持って帰ってくれ)

と、顔を真っ赤にして怒ったという。

松葉売りはエスウなって、かんねの言うとおり                  (怖く)

松葉の崩れた束を集めて持って帰りました。

松葉売りが帰った後で、かんねさんが

路地に ウッチャエトッタ 松葉をかき集めたら                    (落ちていた)

2把ほどになったという。

おかげで、その冬は炊き付けに困らなかったということです。

今日ン話ゃ、こいばっかい。                         (今日の話は、ここまで)・・・エンディングの言葉

最初の枕言葉とエンディングの言葉はこのかんね話の定番というか、お決まりです。

しかし、我等がかんねさん、あきれた横着者です。

とんちは効きますが・・・セコ過ぎます。

他の地域の民話には、民衆を虐げる武士をやっつける民間のヒーローが存在しますが、かんねが武士をやっつける話は私が聞いたなかでは、出てきません。

唐津藩は、前出の寺沢志摩守をはじめ藩主が大久保家、松平家、土井家、水野家、最後の藩主小笠原家まで合計6回藩主が変わっていますが、豊臣秀吉の朝鮮出兵の時、名護屋城築城で功績をあげ領地を得て、慶長の役に参戦その後関が原の戦いで東軍についた寺沢志摩守が藩祖といわれています。

農業振興の為に黒松を植えて育てさせた訳ですから、非常に領民思いの藩主だったと思われます。

領民に非常に厳しかったとされる後の老中水野忠邦も、農業振興や治水事業に功績のあったものを、評価したとする記述も残っておりますから、厳しいだけの藩主ではなかったと思われます。

そのような事例から、江戸時代の唐津藩は非常に裕福で、領民思いの領主に恵まれていたと思います。

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